ダムの底の泥(2)

この題名をつけるのはたぶん2回目。

 

・ままならない日々が多いけど、そのために病むというよりは、くすぶっている感じ。

・要は、エネルギーが余っている

・これを言ったのはすえひろさん

・夏休みにえりちゃんと会ったら、見かけたハーフの子供の話を絶対にするんだ(ものすごく下世話な話)

 

・なんかこう、ワーッとしていてる

・勉強でもすればいいのだが、やり始めてしまえばやれるのだが、そこまでもっていくのが大変

・まあでもそれはそうか

・とりあえず15分戦略がありますからね

 

・なんだこの中身のない日記

 

・食欲がなくて(食事すると疲れるので食事したくなくなってきた)、ちょっと痩せてきた

・44kg台にのった

・ワーイ

・もう少し痩せようね

 

・最近欲しいナアと思っているブレスレット廃盤になって買えない

・誰か譲ってくれないかなあ

 

・ブラックオパールがすごく綺麗なことを知った

・海を石にしたみたいですごい

・めちゃ高い

・でも石の指輪、あまり好ましくない

・いや指にあったら嬉しいのかなあ、、

・めちゃ綺麗だもんね

・海と言えば八丈島ですが、八丈島に行きたいです

・船代がこの前より夏は少し高いみたいで、それを渋っています

・まあでも綺麗なんだろうなあ

・労働も決まったことだし、行っちゃう~?

・うーん

 

 

・干している布団、おちがち

 

『パルジファル』

・5時間ですって

・うける

 

・なっっっがい足痛い
・3回くらい寝た(すいみんすいみんすいみんすいみんすいみんぶっそっく♪ (これだから労働は悪))
やっぱり3部が一番面白そうだよな
クライマックスでね
→うーん…、、、ネットで適当に読んだ解説のほうが面白かった

 

・Mittleid が出てきてよかったですねえ

・途中フランス語の看板?美術館の説明が出てきて面白かった(しかし訳ができるほどの私の腕ではない)

・あんまり上手じゃない…?なんか声がオケに負けてる&通ってない
パルジファルはよかった、あと悪役のおいたんは大変お上手だった(あっ新国立ってめちゃめちゃいいところなんですね…と知った)

 

・すごく宗教色が強くて、新約聖書をきちんと読んでた方が面白かったのだろうな

・テーマは苦しみ(共苦)と救いなのかなあ

・苦しみそのものを理解することができましたか?

・なんでもそうだけど、浅瀬でちゃぷちゃぷしているのも楽しいのだが、より深くやっていったほうがより楽しく、しかし時間はないのだった

 

・私は、哲学を頑張ってやってこ〜っと
・夏休みやっぱりショのレポート書いてみよう、それでどっちかで出してみようかな

・ショをもう諦めたいんですよね
・卒論(卒論じゃないけど)が調べ学習にならないようにしないと!


・上がりの夫婦を見て、あ〜となった
・足が痛い

 


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horizontalですって

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・女性蔑視について、積極的にするのではなく、無意識になされる軽んじられを今日初めて受けて、あっこれか?となった

・私と中年男性と若い男性(new commer)で仕事の話をしていたとき、私のほうを見られなかった

・これか!!?これなのか!!?私は無意識に「頼られる」範囲から外れているのか?

・いやでもお兄さん、重いものを積極的に持ってくださって、なるほどという感じではあったのだが

・まあでも中年男性が一番先輩だしな

・もちろん最も頼られるべきは彼であろう

・いやでもそれにしても見られなかったなあ

・これ…?

疲れた

・最近よく行く図書館の場所、かなり気に入っているのだけど、来年度から図書館が新設されるそうで、それに伴って、なくなってしまうのだろう。来年度からどうしようかな。移転に伴って閉鎖もするみたいだし、また気に入る場所がみつかるといいなあ

・夏休み、労働しようと思ってたのだけど、うまくいかなそうで、それならたっぷりある時間を使ってショに関するレポートを書きたい。

ラテン語の時間に先生が、「語学たくさんやってるのいいと思いますよ~。哲学の勉強は一人でもできるから」とおっしゃってくださり(後半の真偽はわかりませんが…)、大変に有難い限りであった。できるところまでやっていこう。

 

改めてやりたいこと

・語学(英語>仏≧独>希羅、いずれ梵に入門)

・ショのレポート続き書き終える、夏休み中に(学会出せるか検討する)

倫理学入門

・反出生.......のお勉強

・産みについてのお勉強

『ぺリアスとメリザンド』

あんまりよくわからなかった…これは難解なのでは…。

相変わらずU25制度のおかげで、とても良い席をとても安く買えているのですが、これが使えるのもあと少し、その先はU39か普通に買うしかなく、普通にはまあ買えないので、厳選して観にいこーっと。

 

それはそうと、最近の私のホットトピックは「よくわからないものとしての怖さ」みたいなもので、それは「魔王」の歌から始まり、聖書研究における神のよくわからない善良さみたいなところに由来しているのですが、『ぺリアスとメリザンド』も全体的によくわからなさが続いており、そこはかとなくした「怖さ」がありました。「よくわからなさ」が怖いのは、こちらが持っている倫理とか規範を元にする行為とは違う行為を取っているのをみたときに、その倫理とか規範とかが持っていないように思われ、つまり「何も通じない」ものであること、”ついうっかり”私を害しうるものというように見えるからですね。こわ。

 

さて、『ぺリアスとメリザンド』、最初にドレスを着たメリザンドが鞄を持って部屋に帰ってきて、鼻血を出すシーンから始まるのだけど、そのドレス姿と鞄が妙にあってなくて、なんだか笑ってしまった。全体として、この演出は「メリザンドの夢」を目指していたらしく、どこかに行っていたメリザンドが疲労困憊の状態で帰ってきて、眠りにつき、そして見た夢であると。そういうことらしい。

ゴローがメリザンドを「拾う」のだけど、そこから「わけのわからなさ」が始まっていて、全くもって難解であった。拾う…?なんの比喩なの…?そうしたよくわからないものを「家」の中に招きいれるのはとても怖くないかゴロー氏…?色々な方が今回の演出に対して批評を行っており、そうしたものを拝読したところ、「そうして招き入れられたメリザンドも、家父長制が蔓延る”家”の中では所詮”子を産む”機能としてしか見られておらず、そうした女性性の抑圧を描くのに成功していた」、といったことが書かれており、なるほど…(?)となった。

演出家の方は、家父長制とか女性の抑圧とかを浮き彫りにしようとしたそうで、私が最近それに関連して思うのは、男性性から規定される女性性、侮蔑と期待の二義性があって、それがすごくグロテスクだなということである。期待のほうは、主に母性を期待されているのだと思うのだけど、女性性を不足しているものとして侮蔑しつつ、自己(男性)を完全に肯定してくれるもの・無償の愛を与えてくれるものとしての「母性」なるものを期待し、自分の子供(息子)にも期待している、みたいなこと。今日授業で少しフロイトの夢の話が出たのだけど、夢を見ているとき人は完全に寝ているわけではなく、例えば幼児を持つ母親がそれが夜中に泣けばすぐに起きることがあるだろうと言われており、それは男性性から期待される母性の自己犠牲さと善良さ、無償の愛性みたいなもののあらわれで、うーんこういうのだよなあと思った(伝わってる?)。そしてこれは「魔笛」をみたときにも思ったことである。オペラ、わりと女性蔑視とか家父長制とかの表象であり、オペラをひっそりと好きな人間として、それの継続に少なかれ加担していることに対するもやもやがある。そうした悪さをかき消す荘厳さと力強さ、豪華さがあり、それに圧倒されているのだけど、そういうのってどうしたらいいんでしょうね。今の価値基準で昔の物事を批判してはいけないみたいに言われるけれども、それをそれとして放っておいたら、その悪さはずっと続くことになりませんかね?そのあたりどうなんだろうと思う。

ぺリアスとメリザンドが恋に落ちていく過程もよくわからなくて、なんか気付いたら両片思いしていたんですよね…?どういうこと…?なんかすごく淡々としており、終始何を見せられているのか私は…?という気分であった。これに比べると、ワーグナーとか、よく知りませんけど、ドイツのオペラは(少なくとも私が今までみてきたものを考えるに)わかりやすい気がする。

は~ようわからんかった。

河野さんのお歌とお姿を拝聴拝見できたのでよいです。なんにでも出てるつまや氏も拝見できて、光栄でした。

 

 

日曜日の日記

日曜日の日記

独検が終わった

・ろくに勉強しなかったので、開放感もなければ達成感もない

・試験期間中にありがちな、「終わったらあれもこれもそれもやりたい」がない

・何をしよう(授業の事柄、英語、現代倫理学入門)

・勉強しなかったわりに長文は解けて楽しかった

・文法とイディオムはズタボロですが

・面倒をかなりご親切に見てくださっていた先生には大変に申し訳ないですね

 

・アマプラにある『戦争と平和』をみている

・主人公たちはロシアの人々なんだけど、会話は英語で行われており、それにも関わらず「今の人々(我々だったかも)は自分たちの言葉も忘れてしまった」と言っており、これはギャグですか?

・敵のフレンチはフレンチ

・これはピエールの献身の話ですかね

・ただ綺麗できれ~となっているだけ、、

・ピエールが捕まったとき、洞窟の中で同じ捕まったおじさんがパンを分け与えてくれたシーンと、そのおじさんが自分たちを捉えている兵を見て「彼らにもまた自由がないのだよ」と言っていたシーン、かなり印象的でした

・ピエールが彼の片思いの女の子に献身しているシーンも

・ピエールたちを捉えた兵士たちがモスクワから(北に?)移動する際、ピエールは「足手まといになるから、自分たちを置いていったほうがいい」と言うのだけど、兵士たちは「君たちをのこしてまた反乱を起こされたら面倒だから、連れて行ったほうが楽なのだ」と言い、また負傷者を助けてくれとピエールが頼んだ際「殺したほう手っ取り早い」と言うのだけど、こうした考えは今も形を変えてあって、それは資本主義社会において、よりお金がかからないことが優先され、他の大事なことが捨象されていることです。

・あーあ

・入門すべきですね

・『罪と罰』のDVDも買ったのだから見たい

・白鯨をもう一度読み直したい

 

フェミニズムと講演会

・昨日、面白そうな講演があったので拝聴したのですが、渦中で苦しんでいる人の真剣な叫びであり、知識と慎重さ、学問を進めてきたことの忍耐が滲み出ているようでした。

フェミニズム、さほど関心があるわけではないのですが、誰かが何かをしたいと思ったときにそれが外的に疎外されていることはよいことでは決してなく、内的にであってもそれが疎外されているのであればよくはなく、それが外的要因で作られたものならばなおよいわけがないとはぼんやりと思う。ミニスカートをはきたい人はなにに煩うでもなくはけるべきだし、露出をしたくないならそれは煩いなくそうされるべきだし、そうでないのはおかしい。

・私はすぐ上で「~べきである」と書いたけれども、そうした神的な視点であるとか、なにかの行為の良い悪いを決める主体は誰なの?、よりラディカルであることがよいというマスキュリンな傾向はもうやめたら?、つまり形而上と実存の差があるのに、形而上だけで議論をし続けていることって”生産性”がないのでは?、現実の範囲では問題が/苦しみがそのままになっているのに?という批判が哲学界全般になげかけられていて(あってるかな)、この混沌の中できちんと、悪さを断ち切ろうとやっているのが、、すごい、、お二人ともかっこよかった。

・私も悪さを断ち切ろうとしていたい、それが他者、世界への責任だと思う

・生まれてきてしまったので

 

タイトルなし

本当はこんなふうに日記を書いている場合ではないのですが、大量の宿題が私を待っておりますので、しかし書かないとそれはそれで死んでしまいそうなので、今書いています。

 

さて、最近大きな悲しいことがあったのですが、それは疎外におけるものの悲しみでした。というのは、私は大学に入学し直したときに、生きていることを許されたかのように感じたのだけど、それを感じうる機会があったのだが、今回は私がそれに値しないこと判断されていたがわかって、愕然としてしまった、ということです。久しぶりに泣いてしまったなあ。

具体的に書かないから面白味がないし、何を言っているかがわからない。

 

 

ままなることなどない

ままなることなどないのでやっていくしかない

とある上長に、彼(ベテランのお兄さん)がお辞めになったからきっと今は大変になったことでしょうね、みたいなことを言ったら、まあでもやるしかないからさとおっしゃっており、この言葉はいいよなと思った。諦念であり、少なからず前向きでもあり、かといって強い希求でもない。よいですね。私もやっていくしかないので、やっていこう、いけるところまではいってみようと思う。強い希求ではないけれども