あ˝ー----

寂しい、とても寂しい

旅行に行ったんだけれど、そこの景色が本当にとてもよくて、本当にきれいで、澄んでいて、清潔な綺麗さだった、ずっとここにいたい、私はもうここから出たくない、この肌を刺す清潔な冷たさと、目前に広がる真っ白な景色、白で覆われて、ほとんどの情報がかき消されたような、そういうところ、そして静かで、でも冷たいの、そういうところ、ここにずっといたい、もう帰りたくない、私のこれから先のすべての幸福と、今を交換して、すべてを投げうってここにいたい、と思った。悲しい。私はそこにいられなかったし、いなかった。それが悲しい。私にはどうしようもないことがあること、たぶん、この先もどうしようもないことがあること、欲しいと思っても手に入れられないことがあること、あの美しさを手にいれることはできなかったこと、そういったことをまた何度も味わうのだろうこと、そうしないための努力を私はたぶんしたくないのだろうということ、これらがどうしようもなく寂しくて、心が死んでいる。死にそうだなと思う。それならいっそ、ついうっかり死んでしまいたい。

かえってきて、その帰り道が、徐々に白くなくなっていくこと、ごちゃごちゃしていくこと、雑多になっていくこと、そういったことがほんとうに悲しくて、悲しかった。今も悲しい。あの白さ、美しさ、そこに埋もれていたかった。美しいところだった。

最近ニーチェ(の入門書)を読んでいて、彼は本当にかわいそうな人で、本当に、どう表現したらいいんだろう、深い孤独の中にいたんだと思うと、涙が出てくる、かわいそうなニーチェ、自分一人で「真理」を気付いて、でも誰にも理解されず、またその「真理」は残酷なもので、その意味でも残酷だし、何重の意味でも彼はかわいそうな人だ。彼が気が狂ってしまったのは、私たちが彼のことを知ろうとしなかったからで、その真剣さを受け取らなかったからなんだろうな、馬の話はわからないよ。それで、孤独、孤独が今私のホットトピック(ホットピック?)なんだけど、その寂しさ、私が旅行に行って感じた寂しさは、孤独のようなものでもあったと思う。具体的な寂しさというよりは、概念としての寂しさがあって、それは私しか感じ得ないものだから、孤独だなと。別に寂しいのも孤独なのもいいんだけど、だってどうしようもないからさ、でもどうしようもないから、せめて叫ばせてくれ、と思うのだ。