12時

最近夜更かしをすることが多いのだけど、それは最近対外的に夜型の生活をする日があるようになってしまったからで、別に夜が好きなわけではないです。超朝方が好きだなあ、、、。

 

私の大好きな同級生とたまたま放課後に鉢合って、お寿司を食べに行ったり、そのお寿司がとてもおいしかったり、私の大好きな先生がお酒をくれたり(親戚にもらったのだけど、僕はこの類のお酒を飲まないからと言って、くれたのだ)、それがとてもおいしかったり、苦戦していたギリシア語が少し楽しくなってきたり、友達と電話したり、お金が稼げるようになったり(まあこれはそこまでよいわけではないのだけど)、素敵な人(頑張っててちゃんとしてる人とか、かっこよくて足が長くて優しそうな人)と喋ったりして、すごくいい週ですね。

 

そんなことを書いていると私は機嫌がよいかのように感じられるかもしれませんが、別に機嫌がいいというか、私が今日日記を書こうと思ったのは、むしろイラっとしたことがあったからで、その話を書き残しておくために今カタカタと打っているわけです。

 

うまく書けないので具体的に書いていこう

例えば私は政治にあまり関心がないのだけど、そうすることで今の政権が好き勝手やれる隙をどんどん与えていきますよね。自分自身や、後世の人々に大変な世の中を与えることになるでしょう。私はまた、ヴィーガンのものにあまり興味がなく、肉を普通に食べますが、そうすることで環境負荷に加担していきます。ウーバーイーツを使いはしないけど、食べログを使うことで、その悪魔的なプラットフォームを肯定し、それによって苦しむ人々を苦しませる一因になります。安いものを購入することによって、その安さのために低賃金で働かされる人に対し、そうした労働環境の醜悪さを認め、推し進めています。アルバイトをすることで、しかもそれは最低賃金に近いものですが、非正規の労働を認め、こうした制度を肯定していくことになります。もしかしたらその制度のせいで苦しんでいる人がいるかもしれませんが、私は自分の短期的な利益を優先させます。私はこうして、世界の悪さを肯定し、それに加担していきます。残念ながら、何かしらの悪さに加担せずに何かをすることは難しく、私は誰かを常に踏みにじり、気付かずに誰かに踏みにじられ、常に悪さをしでかしているでしょう。特にサプライチェーンが発達した現代においては。

私が悲しいのは、そして耐え難く避けたいのは、私が加害者になるということであり、私が責任を負わなければならなくなる、ということです。傷つく誰かがいることが嫌なのではなく、いえもちろんそうした人や悪は少ないほうがよいのですが、私は自己保身の人なので、私にも責任が生じてしまうことが耐えがたくいやです。なので普段から、悪さをしないように気をつけ慎重にはなっているのですが、そしてだからこそ加担していることがたまらなく嫌なのですが、こうして生きているだけで悪に加担してしまう現代(「現代」が悪いんですか?)、自己の悪や傲慢さに対する嫌悪観、そうした構造に対する恨み、常にそれを自覚自認していることのつらさ、またそれに自覚的でない他者への、つまり傲慢さへの苛立ちがあります。思いあがるなよ!!!という気持ちと、その自己への特権性はなんなんだろうという疑問があります。生きている限り、残念ながら自己より大きいもの、世間とか世界とか他者とか、そうしたものですけど、そうしたものにどうしたって接続しているわけで、中立なんて立場はないのですよ。どうやったらその接続を切ることができるのか、切って、自己をそうしたことからは関係ないものとして扱うことができるのかと、不可思議に思います。そうした傲慢さへの苛立ちがあり、悲しさがあり、そうすることで悪を加速させうること、また私も悪を加速させている事実が跳ね返ってきて苦しく、諸々悲しいです。だから人間は生まれてこないほうがよかったのだ。