お友達

お友達が手紙をくれた。誕生日にクッキーを送ったから、そのお礼を送ってくれたのだろうか。クッキーは、私が一番美味しいと思っているクッキーだよと言って送ったけど、それを更新するかもしれないクッキーに早速今日出会ってしまって、動揺している。香港の、なんだっけ、ジョニーベーカリーみたいな。ジャニー?ジョリー?幸せの味がするクッキーだ。頂き物。

 

手紙が怖くて開けられない。何が書いてあるのか。見てしまえばどうということもなく、とても素敵な私の友達からのとても素敵な内容が詰まった手紙だと思うことは間違いないのだけど、何が書いてあるのか、怖くて開けられない。メールやラインもそう。開けられない。ラインは早く返さないといけないから、勇気をとても振り絞って見るが、勇気をふりしぼる行為にとても疲れる。友達からのライン自体は嬉しいし、内容も嬉しいし、彼女の時間を私に当ててくれたんだと思うと、有難いな、愛おしいなと思う。しかし、開けるのにとても体力がいる。愛おしいことと、体力を使うことは別だ。メールは翌日まで温存してから見ても構わないから、少しは楽だ。その間に、メールを開く覚悟ができる。よし、見るぞ、と私の心がメールに向くまで待てる。手紙は2、3日温存しておけると思っていて、2、3日の間で心がぴったり向いたタイミングで開けることができる。手紙のいいところは、返事を期待して書いたものではないところ(一方的なところ)、いつ見てもいいところ、相手の時間を少なからず奪うところ、愛しい人たちの字を見ることだできるところである。明日開こう。楽しみだ。

 

お手紙のお友達は、臆さずにものを言うと思う。決して怯むことのない、的を得た、とても鋭い針のような毒気が好きだった。今は少し抜けただろうか、去年会ったときはそう感じた気がする。彼女らしさがいつまでも彼女にあったらいいなと思いながら、私の思っている彼女らしさが例え薄れても、私は彼女がずっと好きだと思う。どんな選択をしても、彼女の選択であれば、私はきっと何でも好きだ。私の人生を彩ってくれた。私を私らしいと言ってくれた。


最近お痩せになったな~と思う方がいて、体調が芳しくないのか手術をなさるそうで(もうしたのかも、よく知らない)、絶食の期間がしばらくあったらしい。すごく骨っぽくなってしまって、大丈夫だろうかととても心配になるが、出来ることはなにもないだろうな。親しい関係でもない。言葉はかけてもいいのだろうか。ご本人は触れないでほしいとお思いになっているかもしれない。早く元気になってほしい。ここでこうして言葉にするくらいだ。


明日から教習所。めんどくさい。やはりなにもしたくない。やりたいこと以外は何もしたくないのだ。昔わけあって読めた文章の続きが読みたい。そのときは、多分一章までだった。