日曜日の日記

日曜日の日記

独検が終わった

・ろくに勉強しなかったので、開放感もなければ達成感もない

・試験期間中にありがちな、「終わったらあれもこれもそれもやりたい」がない

・何をしよう(授業の事柄、英語、現代倫理学入門)

・勉強しなかったわりに長文は解けて楽しかった

・文法とイディオムはズタボロですが

・面倒をかなりご親切に見てくださっていた先生には大変に申し訳ないですね

 

・アマプラにある『戦争と平和』をみている

・主人公たちはロシアの人々なんだけど、会話は英語で行われており、それにも関わらず「今の人々(我々だったかも)は自分たちの言葉も忘れてしまった」と言っており、これはギャグですか?

・敵のフレンチはフレンチ

・これはピエールの献身の話ですかね

・ただ綺麗できれ~となっているだけ、、

・ピエールが捕まったとき、洞窟の中で同じ捕まったおじさんがパンを分け与えてくれたシーンと、そのおじさんが自分たちを捉えている兵を見て「彼らにもまた自由がないのだよ」と言っていたシーン、かなり印象的でした

・ピエールが彼の片思いの女の子に献身しているシーンも

・ピエールたちを捉えた兵士たちがモスクワから(北に?)移動する際、ピエールは「足手まといになるから、自分たちを置いていったほうがいい」と言うのだけど、兵士たちは「君たちをのこしてまた反乱を起こされたら面倒だから、連れて行ったほうが楽なのだ」と言い、また負傷者を助けてくれとピエールが頼んだ際「殺したほう手っ取り早い」と言うのだけど、こうした考えは今も形を変えてあって、それは資本主義社会において、よりお金がかからないことが優先され、他の大事なことが捨象されていることです。

・あーあ

・入門すべきですね

・『罪と罰』のDVDも買ったのだから見たい

・白鯨をもう一度読み直したい

 

フェミニズムと講演会

・昨日、面白そうな講演があったので拝聴したのですが、渦中で苦しんでいる人の真剣な叫びであり、知識と慎重さ、学問を進めてきたことの忍耐が滲み出ているようでした。

フェミニズム、さほど関心があるわけではないのですが、誰かが何かをしたいと思ったときにそれが外的に疎外されていることはよいことでは決してなく、内的にであってもそれが疎外されているのであればよくはなく、それが外的要因で作られたものならばなおよいわけがないとはぼんやりと思う。ミニスカートをはきたい人はなにに煩うでもなくはけるべきだし、露出をしたくないならそれは煩いなくそうされるべきだし、そうでないのはおかしい。

・私はすぐ上で「~べきである」と書いたけれども、そうした神的な視点であるとか、なにかの行為の良い悪いを決める主体は誰なの?、よりラディカルであることがよいというマスキュリンな傾向はもうやめたら?、つまり形而上と実存の差があるのに、形而上だけで議論をし続けていることって”生産性”がないのでは?、現実の範囲では問題が/苦しみがそのままになっているのに?という批判が哲学界全般になげかけられていて(あってるかな)、この混沌の中できちんと、悪さを断ち切ろうとやっているのが、、すごい、、お二人ともかっこよかった。

・私も悪さを断ち切ろうとしていたい、それが他者、世界への責任だと思う

・生まれてきてしまったので