形而下

私はよくわからないから、とりあえず点をたくさん集めて、それらがいずれ繋がればいいと思っている。いずれ繋がることは、私の経験から知ったことだ。しかし求められているのはどうやらそういうことではなく、というか私の点の考えは多分初っ端からなくて、求められているのは、短くても最初から線で、その線が隙間もずれもなくずっとまっすぐに続いていくことだ。だったら最初からきちんと線を示してくれと思う。それはさておき、なんというか、形而上のことでふわふわしていた期間が長く、また形而下のことはど〜でもいいな〜と思いながらのこのこと今までやってきたから(それでやってこれたのがすごい、両親ありがとう)、今私がやっていることが現実のことだということにまだ理解が至っていない。現実とか実社会と繋がっていないのである。まだ公式(と言われているもの)を眺めている状態で、その公式が実社会でルールとして使われていることは知っているが、実感が伴わないのだ。いつまでも実感が伴わない。しかも線ではなく点を集めている。それで何もかもわからないんだと思う。多分私は根本的なところで躓いている。だってわからないんだもの。何がわからないのかがわからない。普通の人々がどうやって公式を理解し、実社会に当てはめ、実感として落とし込んでいるのかがわからない。私はそれができない。抽象的に物事を捉えすぎていたのかもしれない。それを全然悪いなんて思ってないし、むしろ好んでいるくらいだが。教えられている公式は、実社会では使われているが、尊守はされていない。人々が勝手に変えていって、今では公式は単なるお飾りだと思う。私はとてもシステマティックにできているので、これもわからない。だったら公式を学ぶ必要はないし、公式はなくてもいいはずだ。私の容量の悪い頭を、容量の少ない頭を、どうでもいいことが占めるのは嫌だなあとうっすら思う。仕方ないのでやるが。こう言う時、現実に負けたなと思う。馬鹿だったらよかったと言った人がいたが、現実に負けたんですよ。そうすると私は、馬鹿だから現実に負けなかったのか。いや、本当は運に任せただけだ。私が決めることができなかったから、馬鹿になって現実に負けないか、馬鹿にならずに現実に負けるか。現実に負けるのはそれはそれで馬鹿だと思う。仕事は、私にとってはどうでもいいことを、こうやって容量の悪く少ない頭を占められるから嫌なのか。だから好きなことを仕事にしようなどと叫ぶ声があるのか。世界のことがわからない。