昨日

今日のやらなきゃいけないことが早々に終わった。すごい、早い、と静かに感動した。これから昼寝をする。起きたらフランス語の勉強をする。

頑張るんだよ、と優しい言葉をくれた。優しい、本当に優しい。同時に、少し怖かった。私にすがっているような感じ。しかし、それよりも遥かに、恥じない私でいたいと思う。浅慮だったと思うが、大好き。

のんびりした日々は今日で終えて、新しい息を吸おう。 今日は昔よく食べていた、じゃがいもと鶏肉のにんにく炒めを食べた。美味しかったが、昔と少し違う。レシピってとっておいたっけ…、いや、なさそうだな。母の作る料理は全ておいしくて、満たされるが、私の作る料理は単なる「栄養摂取」の域を出ず、食べ続けていると息が詰まる。いくらちゃんと作っても、おいしくても、なんか満たされないのだ。一人暮らしとか絶対できないなと思う。死ぬ。 働くことについて。正規で働いたことがないことの筋は、私の中では通っている。自分を生かせないからである。正規で働くということは、自分の生を存続させていくぞという完全な意志の表れだと思う。私はその意志がないので、ずっとちゃらんぽらんで、ふんわり生きている。だから、ちゃんと働いている人をみると、ああ生を肯定しているんだな、前向きでえらいなと思う。わたしには凄まじくてできない。そうは言っても、生きるのが怖いから、安心するために働きたいと思うようになった。新しい発見である。筋は通ってないが、安心したいという意味では筋は通っている。これがいわゆる"ダブスタ"なのだろうか。生きるのが怖いとは、仮に答えが出て、生きることになったとした時、私は自分の生を受けとめきれなくて、結局死んじゃうんじゃないかなと思った。だから、それを軽減させておきたい。また、生きることが可能だと論理的に結論づけられたが、私がその理論をとることは出来ませんでした、という結果は有り得ると気付いた。どうなるだろうか。生きていたくない私は、この可能性が浮上したことに安心を覚えている。 よく知らないが、某漫画の美少女キャラが151cm36kg、そこそこのお胸の大きさをお持ちでいらっしゃることを知って、驚いた。私は150cm40kgで、それなりに細く、胸はささやかである。もちろん体質とか色々個人差はあるが、どう考えたってこの体型がフィクションだ。ダイエットのしすぎで36kgまで体重が落ちたこともあるが、ええと、そうすると胸は保ってられないです。これはちょっとどうなんでしょうか、と思った…すーごい設定だな…。 ミスコンについて。私はここに容姿への盲目的な信望をみるので、否定的です。ないほうがいいと思う。個人が自分の容姿を理想とするところにより近づこうとするのはとてもよいことだと思います、向上心があるし、自分をよりよくさせるための行為は総じて素晴らしい。しかし、うーんそうねえ、容姿の良さだけを高らかに誇示することと、それを評価する場を公的に設けちゃうっていうのは違うんじゃないかなーと思います。何が問題なんだろう。勉強不足を痛感する。こういったものを公定する意見として、頑張っていることを褒めて何が悪いというものがある。いいと思いますよ、自分をよりよくさせるための行為は総じて素晴らしいですから。しかしそれは公的にやることじゃないし、ましてや容姿を一定の基準でジャッジしちゃうっていうのは…うーん、気持ちわるい構造をしてる気がする。 寝る。