寂しくなっている。なぜ、計算違いだ。さくっと少しだけいて、さくっと去る予定だった。書面上はそうなっているだろう。いやそうじゃなくて、心が痛い。愛想を振り撒きすぎただろうか。入り込みすぎただろうか。一昨日の、一昨日だっけ、一昨日の大集結がとても愛おしくて、愛着を感じてしまった。こころが痛いのが悲しい。痛いよう。間違えたよう。もしくは、いよいよ動き出さねばならないことへの不安か。でもどうして愛想を振り撒き過ぎた(そうは言ってもしっかり過去形(笑))ことが、愛着を生じさせるんだろう?優しくしてもらったからかな。私はとてもとても利己的なので、教えてもらった時間をふいにすることへの申し訳なさがあるというよりは、もうちょっとこう、なんというか、私にあああの子も去ってしまったのねという評価が下されることへの抵抗、だと思う。今週はずっと一人だろうと思っていたら初っ端から違くて、でも明日だけだろうな。もしできれば、数人に会いたいけど、会わないでしょう。変に期待しないほうが身のため。一人のほうが、愛着を抱かずに去れる。でも本当に計算違い。こんなに心が痛むとは思っていなかった。上手いことできている。一人にしておいて、寂しさを感じさせて、そこに与えて、愛着を芽生えさせる。よく出来ている。だから、今週は一人のほうが都合が良い。静かに去れる。静かに去れると思ったら静かに去れなくなっちゃって、あ〜あ、という話。

 

・おばさん←老い/女性という差別、そうではなく個人

・「若い力」を求めてます←は?理論がまじでゴミだった、頭悪そう

・キッチンはやっぱり気になる?←個人によるでしょうよ

・~の胸筋がヤバい←男女逆だったら非難囂々ですよ、なぜ女性は許されているのか、私も昔してしまった

 

屈折した何かがある。絶対に。近づいちゃいけない。自然に近づいて判断したかった。念が残る。綺麗な人だった。綺麗な人。私がその綺麗さを勝ち取りたかった。ルッキズムの申し子。

屈折した何かの話で、ひそひそと話すのは、屈折した何かに入るのか。私に当てられたものではなかったが、目線が怖かった。いわゆる女性的だった(だからこういうのは、性別じゃなくて個人によるでしょうよと思う。女性だからうんぬんということはないのだ)。いやしかし寒いな。

 

そんでもってこれらの日記は、私が後から読んで、あ〜あれねとなれるのだろうか。ぼかしすぎて、雲を掴むようになってしまうのではないか。忘れたくないよう。

 

感情の動きが予定よりかなり大きくて(予定では動かない予定だった)、動揺している。しかもその動きが愛着なもんだから、尚更想定外で、驚きだという話。