やめぴ〜

2021/3/5に箇条書きしていたことを、休日に文章にする。今日は着物を着た。亡くなった大叔母のもの。箪笥のにおいがする。今日は、亡くなった祖父が夢に出てきた。祖父のただっぴろい家の,祖父の部屋で、小さいしゃれた二人掛けソファーに横になって(そんなものを祖父は持っていなかったが)、ビデオを見ていた。ビデオカメラで撮影した、10年以上前に亡くなった祖母と、(概念としての)小さい子供か孫たち。それを見ている祖父の手を握って、二言三言、言葉を交わした。亡くなる前、最後に会ったとき、部屋の介護用ベッドで横になっている祖父のことを抱きしめればよかったと思った。実際は、握手をした後、やっぱりともう一度戻って、手を握った。抱きしめればよかった。元気だろうか。死なないで欲しかった。いやそうではなく、生きていて欲しかった。死なないで欲しかったと思ったの、最初は。でも、死なないで欲しかったのではなくて、生きていて欲しかっただな、と思い直した。私の欲は否定形であらわされることが多いから、珍しいことだと思った。生きていて欲しかった。代わりに、と思うことがあるが、言うのは憚られる。

 

労働の話。やっぱりやめるのがいいなと思った、来週の水曜日辺りに言おうと思う。故郷に帰るか、就職が決まった、か。どっちかな。言った後にどういう扱いを受けるか不安で、それが嫌でやだなと思っていたけど、まあ諸々仕方ないよね。やめようと思ったのは、「なんかレベルが違うぞ」な人とお会いして、ああこれが求められている正しい姿なのねとわかったから。私はまだちょっとしかみていないのに、悪いところがたくさんいたるところで見えて、あ~あと思っていたのだけど、そういう悪いところは、彼のレベルまで到達していない者が言ってはいけないのであって、たぶんその組織の中ではそういう仕組みになっていて、でも私はそれに添えない、と悟ったから。でも違うと思う。そういう仕組みでやっているのはわかって、その仕組みの筋が通っていることはわかったけど、その仕組み自体とても悪いものだと思う。私の好きな文章を書く方がおっしゃっていた、「奴隷労働をソフィスティケートさせたプラットフォームビジネス」のことだ。だから、私はその場からいちぬけぴすることにした。と思った矢先に、昨日の労働は、文化祭のような高揚感があって、これは悪くないななんて思ってしまったものだから、現金なヤツだな…と自己評価を下す。 たまたま条件がよかっただけだよ。羅列しておくか。素敵~と思っている人と話せた(俺は惚れっぽいようだ)。素敵だなと思っている理由は、目線を合わせてくれるところ(これはすごい)、話し方(ちゃんと言葉を返してくれる、それに対して私はかなり緊張しているので、きょどっていて恥ずかしい)、顔立ち(!)、手が綺麗(遺伝子ガチャの勝利)。いる人の空気が朗らかであった。若い女だからか、優しかった。理由は本当によくない。ペアが、私のそこそこ気の置ける人であった。声を低くできる人。優しかった人々に対して声が低くなったのはなぜか。防衛? 愛想を振りまいている。最初の話で、そう言われたから。攻略をし続けている。最初に言われたことがずっとあるというのは不思議なことだ。

レベチ氏は本業が別にあるそうで、でもそれって気が楽だなと思った。一つのことに本気にならずに済む。欲の程度が深くならないで済む。深くなると、それに執着して、かなわなくてつらくなる。かなえば嬉しいが、むなしくもなる。諸々、手に負えないのだ、私には。本業の話、こちらでそこまでやり込んでいて、これは二次的なものだというのは、なんだ、その一次/二次の棲み分けは、心の持ち用なのか。過去の積み重ねによるものなのか。現在の数字に置き換えてどうこうという話ではなかった。不思議。人生に本気にならないのはいいことだ。彼は違うだろうが。

 

見ようと思っていた録画がなくなっていた。消したんだっけ。残念。

 

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明日は労働だよ

泣きそう。遊牧民のような労働形態をしている。これはなかなか興味深いのだ。巧一朗先生がおっしゃっておられたように、ああ確かに、癒着がないなと思う。すぐ去っちゃうから、それが前提にあるというのは、気がわずらわないから楽。それはさておき、気持ち悪い。日曜日の3時過ぎ、明日が学校で、夕方のオレンジ色を見ていると泣きそうになっていたあの頃の気持ちを思い出す。心臓が早鐘を打って、そわそわして、いろいろなことが手につかなくなる。私の容量の小ささでもやっていけるような環境を私が用意してあげなきゃいけない。探そう。