Carmen

カルメンを観に行った。

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初台。渋谷駅だと思っていたらそうではなくて、しかし渋谷は苦手なので安堵した。ほとんど行く機会がなかったので、正直よくわからない。こういうのが増えたな。知らないことをやりたがらないこと。知っていることしかやりたがらないこと。年を重ねたことの現れであろうか、嬉しくない現れである。自分ひとりで思考をしているから擬態語が増え、言語化が全然できない。日記でも書け。

D席だかC席だかのエコノミーで8,000円、大変に窮屈であったが、後ほどにU25という25歳以下の者であればS席が5,000程度で買える制度があることを知り、次回からはこれを使おうと思いました。

 

魔性のヒロイン・カルメンにホセという男性が振り回された挙句彼はカルメンを殺してしまうのだけど、その過程がすごく、愛という感情がだんだん執着に変わっていく有様がありありとしていて、そこがとても面白かったな。カルメンの心がもうホセにはないことは明らかなのに、何度も何度も一緒に行こうと言っていた。行きたいなら一人で行けばいい。カルメンと一緒にいたいなら行かずにカルメンといたらいい。でも彼がしたいのは、カルメンに自分と一緒に来てもらうことで、それはカルメンに選ばれた俺という事実が欲しいからでしょう。そんな風に考えると彼は最初からカルメンという(誰に対しても)魔性の女を手に入れる俺、という構造をとっていたんだろうな。それが叶わないかもしれないとなると、必死になっていて、それがとても見苦しかった。

サンクコストの話を思い出す。ドイツ語の話も少ししたからだろうか、半年でガッとドイツ語を勉強してしまって、残りの半年でドイツ語版を読んだ方が、1年かけて英語版を読むより理解できるんじゃないかという話。残念ながら現段階でalmost半年が過ぎてしまったので、現実的ではない。そうここでサンクコストの話。ここまでやってきた英語の半年分の読解を捨てて(?)、方向転換ができるか?という話です。閑話休題。ホセはカルメンの代わりに3か月くらい牢獄に入っていたそうだけど、それがあるからこそここでカルメンを手に入れないわけにはいかなくなってしまうんでしょうね。でももう手に入らないわけじゃない、彼もわかっていたと思うのだけど。だとしたら、その過去の、ある目的を達成するために行っていた過去の行為とどう折り合いをつけるか(私はそれがみてみたい)、でもホセはそこに執着してしまって、結局カルメンも殺しちゃうし、それで自分も不幸になる(なっただろう)し、執着ってよくないなあと思いました。情念だっけ、バランスをとるのが大事ですよってカント先生もおっしゃっておられましたもんね。うん、わかります、私もそう思う。ただそうかといって執着をなくすとサプリの、水野だっけ、彼女のようにつるっとしちゃって、それはそれでつかみどころがなくなってしまうんだろうな。何事もバランスという話なのか。

それから、こういうのは有り続けるのだろうかと思った。フェミニズムの話。現れとしてあり続けるんだろうか、と思う。どうなんでしょう。もうだってカルメンなんてほとんど文化遺産じゃないですか。そこにアンチフェミニズム的な表現があることは、どうなるんだろう。それはそれとしてあったとして、そこに胡坐をかいて笑いを取るのであれば、もう面白くは捉えられないだろうし、だとしたら何に支えられて存在するようになるんだろうね。前時代に対する無考慮な継続かな。

 

自意識の強さを感じる。自意識の強さが集まると、話が飛びやすいことがわかった。私は踏むのが好きなんだ。ゆっくり話したい。それもまた自意識の強さである。

 

シルバースケートがとってもよかった。さすがネトフリオリジナル。衣装や舞台が美しい。それだけで十分である。こうなってくると、私が昨日みたような舞台の立ち位置がとても難しくなってきてしまうように思われるけど、、その界隈ではどうなんでしょうか。対立項になっているのかな。

でも何がよかったんだろう。波がすごかった。盗賊団の彼らは別に悪くないし、なのに潔く死なされて、別に警官のお偉いさんも悪くないし、お貴族のパパも悪くないしなあ、と思いました。

 

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kinounoore

 

えっなんでそんな早いん?

ヨーロッパだから(原文ママ)。

笑ったわ。アッハイ、そーですね。