間違えて地下まで降りた
昨日(日付上は今日だが)書いた、「明日は今日(2020/10/09)を1日目としたこれからの1年間における課題について書く」を実行する。
震えることがあった。あまりにも震えていて、地下まで降りてしまったほどである。地下は暖かかった。震えていたにもかかわらず、思ったより拍子抜けしていたことも驚きで、確かに震えてはいたが、心が飛び上がるような喜びのようなものはなかった。そして私は私が欲しかった選択肢を手に入れたが、ここにきて手に入れなかった選択肢の利点を見つけ出すという愚かさを見せている。すご〜い自分の愚かさにちょ〜びっくりしてる、卑しさに殆呆れている。確かに手に入れられなければ、自分を律しなければならないという意識がより強くなり、気晴らしに囚われるようなことはなさそうだ。だが私は手に入れたので、とりあえずはそれを喜びたい。肩の荷が降りた。それが嬉しい。
本題。これからの1年間というよりは、これからの期間でやることを1年で割っていくことになる。
大きくは、生きる意味について哲学的に考えること。主題となる問いは、私は生まれてこない方が良かったと考えているが、その考えを持つ私が生きていくことは可能なのか?という問いである。
解決策は3つで、
①生まれてこない方がよかったと思わないようになり(生まれてきてよかったとさえ思うようになるかもしれない)生きる、
②次善の策の自殺、
③生まれてこない方がよかったいう考えやそう思いながら生きる矛盾した私を受け入れて生きる。
考えるヒントとしては、
(1)①と③について述べてくれているだろうサルトルの著書を読む、
(2)②について述べてくれているらしいショーペンハウアー、シオランの著書を読む、
(3)②と③について言及しているデイビット・ベネター氏の著書を読む。
これらを読んで感じたこと、考えたことなどを逐一書き記し、集め、それらを分析することが必要。
ということで、私がとりあえずやるべきは本を読むことと、それに伴う語学学習、思考力や書き記す力を身につけることということになる。
具体的には、①②③それぞれに当てはまる本が何になるかを調べ、リスト化。実際に読み始める。並行して語学学習。思考力をつけるって言ってもよくわからないから、とりあえずは文章にしていくことで鍛えられるということにし、なるべくたくさん、論理的になるように書く。シャーロックが言っていた、直感とは、脳が物事を高速処理したときに起こる現象であって、辿っていけばにたどり着けると。私はそれを信じているので、辿る努力をしたい。
今日を1日目とした今年一年、サボらずにこれらのことをする。娯楽に興じることなく、手に入れられなかったときくらいの切羽詰まった感じでやること。私は延命された、ということを忘れないこと。
落ち着いたので買い物をする。洋服を全捨てしたので新しいものを買わなければならない。すでに今月と来月のカード請求額がなかなかなもので、ひいとなっているが、仕方がない。裸で外を出歩くわけにもいくまい。