さむい

昨日の続き。友達の彼氏が、すごくいい人なのにこと彼女(友達)のこととなると、どういうわけかいい人ではいられなくなっていることを、友達は「私に関する認知が歪んでいる」と言っていたが、認知が歪んでいるんじゃなくて、自分に都合の悪いことについて思考停止しているだけだろうよ、と思う。考えたくないから。考えると私に都合が悪くなっちゃうから。私もそう。人を批判すると、自分が出来てないことを棚にあげるし、だから言われるし、人格の全否定みたいになって憚る。

 

昨日は、私が自覚していなかったとしたらどう認識しているのか、みたいなことを書いて終わった。私は私の行為を全部決めてやっているから、反省しないし、それが誰かに悪いように作用しちゃっても仕方ないなと思う。ピースが合わなかっただけなのである。私が悪いんじゃなくて、私とあなたが噛み合わなかったというだけなのだ。そしてそれはどうしようもない。私の中では、全部決まっているんですよ。そうなの、決まってるの。誰かを刺すとしても、刀を磨いて、研いで、鋭くして、集中して、ちゃんと刺す。だからいいと思っている。他人は、私の周囲の人でそれなりに親しい人は、私はうっかり刺しちゃってるんだと思っているみたいなのだけど、なぜ、動機もなくうっかり刺しちゃうことがあると思うのだろうか。そんなわけあるまい。自分がそうだからだろうなあ、と雑に思う。私だって、私が全部決まっているから、みんなも全部決まっていると思う(だからそうじゃなかったら驚くんだけど)。だとしたら、私は刀を持っていることすら自覚せず、気付いたら刺しちゃっていたということになるのだろうか。ええ〜…その認識は…嬉しくないなあ…。

 

私は他人から見られる私について敏感で、見てほしいような私になるように振る舞う。品がほしくて形から入っていたら、上品だと言われることが増えた。だから、こうやって私のことを違ったように認識されるのは本当にしんどいが、これはあまり気にしないほうがいいだろうなあ、などと思います。他人のあることに私の希望やら欲やらを当てはめるのは、うん、上手くいかないと思います。寒い。だから、昨日えいやとやったことは、そういう他人からの見え方に対して、好きにしてくれ、あなたにどう思われようが、私は気にしないことにするよ、という決意のあらわれであると思う。決意、違うか、やりたいことそのことだけを考えた結果か。

 

スケジュール管理ができないって言うけど、管理できない程のものを持つことが間違いです、少なくとも、私に関しては。真っ白なスケジュール帳が最上である。新しい大学の説明会で昔のことを思い出してしんどくなった。