論文の返事をするために分厚い本を読まなきゃいけなくなった

ドーキンス、ドーキンズ?先生のあれ。落ち着く。人生には意味がないとわかる。福岡先生も言っていた。私の人生も生命も、大きなところの小さな細胞に過ぎなくて、しかもそれは全部そうで、なくなってもどうってことないってこと。なくなっても、あるもの達が上手く繋がっていくこと。という考えに変わった。意味はない。なければないでよかったのはそうで、でも今はただ流れに添って、沿って?、環境に生かされているだけ。これらがどう繋がるのか??? 話し相手が失われたことは惜しい。

 

ぶりっ子してる自分を客観視して白々しく思うけど、そのほうがトータルで上手くいくと判断するならそれでいい。ことにする。視線が怖い。見透かされている気分になる。怖。

 

何か書かないといけないと思っている。多忙で瀕死の状態にあり、その中で何か、自分で生み出さなければと思っているようだ。『暇と〜』が思い出される。余暇のところの話。ガルプレイスの。ガルブレイス

 

積み上がっていくのは楽しい。わかっていくことが楽しい。積み木のよう。積んでいることに気付かず、ふと振り返ると形になっていて、それらがどんどん積み重なって、塔になっていく。その過程が好き。

実験、体験をして、パターンを集めて、なるべく認識して、「あ〜これはこういうことね」を増やしていく戦い(?)。

 

話の文脈をぶった切って自分の話をねじ込ませてくる人が嫌いだと判明。気をつけよう。自分の関心に寄せてしまうのはよくあること。意識が飛んでいるから仕方ない。話の文脈を汲んで、繫いでくれる人が好き。

私の話は脈絡がなくて、まわりくどくて、抽象的。何を話したらいいかわからない。当たり障りなく繋いでいくことにする。私のパーソナリティには誰も関心がない。私も出す必要はない。話に割り込まない。自分の話をしない。これは戒め。知られないほうが上手くいく。長くはいない。もう少し(少しでもないが)したら去る。疲れる。