1時半

10時に寝て1時半に起きた。正確に言えば、1時前に起きて、眠れなかったのでえいやと起き上がった。眠くなったら寝ることにする。今日は免許センターに行って免許の試験及び交付を受ける(はず)。父が送ってくれることになった。いつもありがとう。甘やかしすぎである。私は今年で24である。感覚が、20歳で止まっている。いつまでも27歳が7個上に感じる。多分、20歳から3年間引きこもっていたのだろう。27歳は、私が相応になる年齢だと考えている。よく言われていた年齢。

 

一時半に起きたら、夜更かしな父が起きていて、ああこれが夜更かし組と早起き組が交差するタイミングね、と思った。グダグダと筋トレをし、気づけば2時半。着替えたり何だりして今に至る。朝の時間は過ぎるのが非常に早く、1時半でも気づけば5時、6時になっている。午後とは大違いだ。だから、朝が好き。漁師になろうかな。なれるだろうか。

 

昨日は不思議な日で、見ず知らずの人とおしゃべりをするタイミングが2回もあった。教習所の卒業検定の待ち時間に、ペアだった男の子と。それから、バイトの面接が集団面接で(と言っても、私ともう一人女の子、面接官の方で計3人)、和気藹々としていたから。女の子がおいしいケーキ屋さんを教えてくれた。行きます。ありがとう。男の子は若人で、いえ私も若人ではあるが、若人らしさを感じた。大学を辞めてフラフラしてまた入りなおしたと言ったら、「やりたいこと見つけたんですね」と。返事の言葉に詰まったので、ここで返事を書くことにします。

 

あなたのその発言を聞いて、懐かしい言葉を聞いたなと思いました。そういえば、私もやりたいことを求めて躍起になっていた時期があったな、と思い返しました。やりたいことを持っていることが何より重要だった時がありました。だから、そこまでやりたいことをやっている訳でもないと焦って、別に本当はどうとも思っていないことを、これはやりたいことなんだと思い込ませようとしていた時期がありました。それこそ、大学に入りたての頃は。その時期の私の周囲も同じように「やりたいこと」をやろうとしていました。「やりたいこと」というフレーズが飛び交っていた。そして、彼らは堅実にやっていたと思う。その「やりたいこと」というのは、一義的であったように思う。将来どうなりたいか、どうやって生きていくかの型があって、その枠の中で決めていく感じ。枠自体を決めたりはしない。私は「やりたいこと」とは、今となっては、私の現在地は、別にやりたいことの結果というわけでもないんだよな、という感想を持っています。どちらかと言えば、やらないと生きていけないからやっただけです。私は私の現在地を肯定してる。しかし、甘えだとかなんだで否定する見方もあるだろうし、それはそれで一見方だと思います。ただ私はやった、やらなきゃいずれにせよ死ぬから。マジで。だから、そんな「やりたいこと」みたいな積極的な肯定を(社交辞令だとしても)してもらって、少し違和感がありました。でもそうは言っても、自分の欲に実直になって、それが実現した時から、息がしやすくなりました。生きていていいんだと思った。そう自分に思わせてあげられたことは、私にとってとても大きな出来事でした。私は私の生き方しか知らないし、助言はしたくないからしないけど、思うことを言います。あなたが自分で考えて、思ったようにすると、息がしやすくなるかもしれないですね。「人生上がり」の形は結構色々あると思います。色々見て、休んで、休んで、また見て、感じて、ゆっくりして、考えたらいいと思う。知らんけど。私はそうする。そうすることでしか生きていけないので。

 

話変わる。

今の生活は、だいぶ腑抜けている。合格をもらって以来、肩の力が抜けて、「なんか普通に生きれる」と感じることが多くなった。自分が生きていることに罪悪感を持つこともなく(すごくない?)、働いて(すごくない??)、おいしいものをたらふく食べて、些細な嫌なことをやり過ごしている(すごくない???)。私が超絶に尖っていた頃超絶に嫌いだった“一般人”に、私がなりつつあると言えばわかりやすいだろうか(伝わってる?)。でも、それは肩の力が抜けたからであって、肩の力が抜けたのは私が頑張って向き合ったからであって、別に自然に風化してそうなっていったわけではないんですよ。いやそれで腑抜けが正当化されるわけではないんですけども。そうなんだよね〜正当化はされないんだよね〜、だから、この状態に4年後になれるかどうかということが問題で、今は一時的に猶予期間を得ました、その結果ちょっと楽になったよというだけのことなので、私の戦いはこれからなんだよな。いずれにせよ、4年を迎える前にもう大丈夫、生きていけそうだと感じたとしても、もがいていた私との約束だから、しっかりと最後までやらなければならない。それで終わろうね。途中放棄するとしたら、人生を閉じようと思った時だろうな。それもそれでいいですよ。