レイシストの話

私がレイシストであるという話。ようやくこの形容詞を手に入れた。辞書的な意味では少し違うか。

レイシストだから今の仕事をやってみたのである。私の人生からして、「よくない」と思われてきたような仕事。別に誰かに言われたわけじゃないし、私自身何かされたわけでもないけれど、なんとなく「よくない」ものとして認識していたもの。最も大変だと思っていたもの。その仕事が出来れば、生きていけるのではないかという仮説を立てた。やってみることにした。「覗いてみようと思って」と言ったけれど、あまりにも正しい。腰掛けである。それでも、そういうのは違うと思った。私が差別し続けてきた、今となっては周囲の人が、いい人過ぎて、小さくなりそうだ。「よくない」ことをしている私が恥ずかしい気持ちがあり、そういった気持ちがあることに悪さを感じる。私はレイシストだ。

 

それにも関わらず、あ〜この人はレイシストだからこういう発言をしちゃうんだな、と思った。「差別される側」になって、差別されてみて、ああ、こういう言い方をするのは、この人が私達を差別しているからだろうなとわかった。だって、私も多分、そうするから。差別されてみて、どうしてこういう言い方をするんだろうと不可思議に思い、悲しくなった。もっと落ち着けばいい。もっとゆっくり話せばいい。語気を強める必要はない。上手く回したいなら、上手く回るように工夫すればいい。そのほうが確実で、分断もなくて、差別もない。

 

それから、レイシストに差別されている人たちは、自分のことを卑下していると思うけれども、それは良くないですよと思ったんだった。差別されるけどでもこんなに稼いでる、と言っていたけれども、え〜…?と思った。何かが違うと思った。なんで違うと思ったかがわかった。差別を受け入れた上で、自分の良さを、差別している側の価値観に合わせて主張した発言だったからだ。差別を受け入れちゃいけない、自分を卑下しちゃいけない。自分が差別を受け入れちゃいけない。