今日書くこと

好意の変化について

私の直属の(?)メンター(?)と離れて、落ち着きを得て、その後で再会をする。私が驚いたのが、私が幼くなること。気が緩むこと。ああ私はこの人に甘えているんだなということがわかる。好意は、落ち着いてくれていた。穏やかであった。一安心である。メンター以外の方々もみんな優しくて、でも彼らには特出した好意は抱かず、やはり特別なのだと思っていたけれど、その特出さが引っ込んだように思う。気は緩むが。わからない。もう大丈夫だと思うが、昨日は忙しく、私にかまっている時間が以前よりかなり少なかったからかもしれない。もし以前と同じくらいであれば、好意を再認識していたかもしれない。また一方で、私が惹かれるタイプが言語化されたので、書いておく。言葉をちゃんと返してくれること、会話が成り立つこと。これは、キャッチボールの話。それから、話が被った時に、譲ってくれたり、上手く調整してくれること。それがわかる人であること。要観察継続。

 

嫌悪感の変化について

金曜日と土曜日に死にそうになっていたのは何でだろうと考える。やはり思うが、組織が嫌いである。少し触れただけで伺えた態度やら姿勢やら様子やらが、的中していって、それらがどんどん明確になっていって、あーあ、と思う。大切にしないんだろうな、いろいろなことを。一昨日くらいに列挙してみたけど、チリツモするほどでもないと思っていたけど、そうではなかった。十分過ぎる量であった。小さい気になることがいっぱいあって、体調が悪い時や疲れているときにそれらが重なると、一気にマイナスに傾くということであった。加えて、労働という「不愉快だがやらざるをえない」ことをしている状態や「不愉快だがやらざるをえない」ことをしている私自身への嫌悪があり、暴食をしてしまったことへのやるせなさも加わり、それに対し心ない言葉をかけてくる浅慮さ、自省のなさまでもあって、落ちてしまったのだなと思う。結局のところ、労働って本当、健康によくない。傾きを大きくする、大きな要因になりうる。私はこの前労働って健康にいいわ、なんて言っていたけれど、健康の意味も違えば、労働の程度も違うのである。そんなもんだ。期待するものではない。何かを得られるものでもない。私は、私が生きられる条件の労働を探さないと、とても私を生かしておける程度の労働などできない。稼ぎもない。でもそれも、そうなればそうなったでよく、今は単に環境によって生かされているだけなのだ、環境が傾けば、私はいつでも死にうる、それらは、ある種が死に絶えるか、ある種がその種を後世に持続させ続けるかという程度の違いに過ぎないのだ、と思うに至ってしまったので、なんかやる気がないな…。欲しいものはあるけど、別になければないでもいいけど、まああれば楽しいけど…。これについてはまた改めて書こう。コショウとネイルを間違えてびっくりした。色が似ている。

でもせっかくなので、気付いた労働の条件を挙げていってみようと思う。よき気づき。気付きを得てえらい。実体験に基づくことが大事と思って、飛び込んでみた私えらい、すごい。閑話休題。時間は少ない方がいい、一日6時間とか、もしくは週4日。週4日の8時間がいいなあ。移動時間は、毎日違うところに行くのであれば、1時間半くらいであれば、大丈夫な範囲。むしろ川が見られるかどうかが問題。近いなら、それはそれで嬉しい。単純作業でも、物が実際に作られていく過程を見られるのは面白い。ただこれに関しては、慣れると面白くなくなるのだろうかと思う。暇疲れしないこと。服装が楽であること。毎日、制限という名目の下、雑で楽な服を着ていられる。羨ましいなと思うのが、荷物が少ないこと。私の思う文化的な生活ができること、私の思う文化的な生活とは、勿体無いと思わずお湯に浸かれること、ストーブを焚けること、美味しそうと思ったものを(高くても2、3000円程度だけど)躊躇わず買えること、休みの日に好きな服を着て、本を読んだり勉強したりできる程度の元気が残っていること。仕事中に病まないこと。体を多少動かすこと。いいことがあまりなくても、嫌なことがほとんどないこと。どうでしょうか。自分が卑しくて恥ずかしいので、長文の中に紛れ込ませるけれども、私が現在の仕事を選んだのは、なんかこんなもんしかないだろうなと思ったからで、その中で面白そうで、なんとなく先を見通しやすそうだったからであった。これに関してはもう少し書きます。

 

病んだ時の状態について

Netflixのミッドナイトゴスペルの2話、サイのような動物が肉工場で肉にされていくところの回で、「小説家(「何かしらの創作者」だったかな)は、自分が病んだ状態じゃないといい作品は書けないと思っていて、そのせいで自分の病の中に留まっていることがある」みたいなことを言っている回があった。全くそれだった。無双状態だし、なにかトゲのあることを言われてもそれに気にかけてる余裕がなくて流したり、歩いているけど(世界の中にいるんだけど)意識は完全に自己の中にある、という状態。最後わかりにくいな、なんていうんだろう、ずっと考え事の中に浸ってられて、しかもその浸りがとっても深い。思考が鋭くなって、言語化はむしろできなくなっているんだけど、「あ〜これ、こういう感情の動き(よくはない、むしろ悪いもの)があるよね」みたいな認識がいっぱいあって、これってどういうことなんだろう、とぼんやり考え続けている感じ、しかもその程度があまりにも深いから、その他のことがどうでもよくなる、という感じ。ただ、沈み込むところが、楽しいことではないので、悪いと思う。でも、ちょっと元気がない時よりは、その時の方が自信があって、というか、それ以外にはなりようもない状態になっているから、確かに楽だなと思う。悪いんだけど。本当にごめん。