記事を書く

日記を書くではなく、記事を書く、だそうだ。

 

少し前までは何か一つのことしかやっていなくて、それを少しとあとは好きに過ごしていた。素敵な日々。時間の流れが穏やかで、私の生活も穏やかで、ゆっくりとしていた。今はそうではなくなって、複数のことがわっとあるようになり、もちろんそれは私がそうしたくてそうなるようにしているのだけど、それの多様さがいまさらのしかかってきて、ちょっと疲れている。私の友達たちを見渡すと、たぶん彼らは多様さはあまりなくて、でもそれで成り立たせることができていて、そういうのは頭がすっきりしそうでいいなと思う。そうは言っても、私の今の生活とは多様でないと破綻するのだ。やっていけなくなる。心とお金の話。いろんなところに身を置くこと、入り込みすぎないこと、フラットにとらえること、そうしないとやっていけなくなりそう。

弊害は、そうこうしているうちにどんどん話せなくなって、誰かに寄りかかりたくなり、できた場合にはそっちにのめり込んでしまうんだろうなということである。私は今猛烈に(?)、少女漫画的な恋がしたいのだけど、それはいわゆる”私の理想”を他者に投影しているだけであって、別にその人がどうでああでではないんだろうねえ…。わからない、そういう存在があるだけで心が落ち着きますネという話なのかもしれないが、今の私を見ていると、すごい…我がつよくてこれで他者と密接な関係を築こうだなんんて、本当に嫌になっちゃうワ。

関連して自分の話ができないあれやこれやについて書いておこーっと。これは最近の私のトピックで、足がやたらしびれるのは貧血だからなんだろうか、他者の自分の話をたくさん聞く機会があって、それらにやられてしまった。それは、その「自分の話」の向こうに見える自意識の強さに当てられちゃったからなんだけれども、わたくしも例にもれず自意識はかなり強めなので、それが現れるのがいやで、どんどんいろんなことができなくなってくる。現れることも嫌だし、他者に私の自意識を見せるのもいやだし、私が嫌だから他者も普通に嫌だろうなと思う。こういうのなしに会話できるのが(おじさま方にとっての)クラブとかそういうところなんでしょうねえ、そいつはいいや、閑話休題。私は自己完結しているんだと思っているのだけど、たぶん全然そうではなく、街子さんのあれ、あれのようなものなんだろう。だからこの前、聞くふりをして自分の話をしてしまって、やってしまったと頭を抱えた。あーあやっちゃったと、わっと心がすさんで、しかもその対象が私がとても気に入っているもので(かわいいんですわ)、うっわやってしまったと思いました。久しぶりの胸のつまり、首のつまりを感じた。そりゃ痩せますわ…。ていうか現状ストレスフルすぎない??

 

年齢の話。年齢ね~意識させられますな~それが嫌ですね。私は別にはあという感じなのだけど、なんでそんなに気にしたがるんかね。

 

落ち着いたら、

・お寿司

・がちのほうのイタリアン

・ラミティエ

・羊肉の中華

食べにいこーっと。

夏までにいけるか?チャレンジ