啓蒙と分断

話してくれる同級生がいて、ある物事について思うところがあり、それをああだよねこうだよねと話す。他者との関わり合いの中で生じるあれやこれやであり、私は他者とは思いっきり分断をしているので、実は思うところはあまりなく、ただ事実として認識しているという感じ。こういう人がいてああいう人もいて、そうだとすると(お互いに)やりにくいよね、と。けど先ほども書いたけれど、私はやっぱり他者との分断が大きいので、ああいう人やこういう人がいる中で、私はこうしたいからこうしようと思ってそうする。分断。楽ですよね。関係ないと割り切ってしまえば簡単です。

翻って彼はそういうんではなくて、そうやって他者と関わっていく中で、少しでもよいほうに行ってほしいと願っているわけです。なのでその点で他者との関わりをあまり諦めたくないとする。なのちゃんはこれに大変な衝撃と感動を受けました。すごくない?だって、関係ないんですよ、いや彼はそうやって分断しないんです、分断せず、よりよいほうに持っていけないかなと思って、彼自身模索しているわけです。昨日のはその中でちょっと疲れちゃったワ〜という話だったんだけど、そりゃ疲れるよね、疲れすぎちゃわないかしら、あなたが疲れすぎなければいいけどと思った(私が昔、他者に、環境や制度によって保障された"正しい期待"をかけていたせいで、駄目になってしまったことが思い出された)、でもその啓蒙の姿勢がすごく、まず啓蒙の内容が真っ当で、"独善"とか"押し付け"から一番遠いところにいて、静かに願っている感じ、少しでもその「良さ」に近づけないだろうかとしていて、とても胸を打たれた。。うわ〜すごいなあ、、いやしかし私は何に感動しているんだろう、諦めなさかなあ、なんでこんなに胸を打たれたのかしら。そう思い、言葉を探しているところ。

現実との折り合い(でたよこれが分断だって言ってんだろ)のを模索していくことになるんじゃないかなとかうん、ごめん、ほんとごめんなんだけど思ってしまうわけです、私は。情け無い、、、。彼は私より若いので、若い子にとっての世界がよりよいものだといいんだけど、私はそうなるために他者に働きかけるような努力を一切しなかったな。一応私の名誉のために言っておくと、私が私を磨くことで、磨かれた人間が出来上がり、みんながそうすることで、磨かれた人間がたくさんいる世界になると思っているんだけど(要するに、私の他者への働きかけは、積極的ではなく、私が好きにやってる姿を見せることで、「ああ好きにしてていいんだな」と思ってもらうことです)、彼の話を聞くと単に分断して楽してるだけですネと思いました。閑話休題

そういうわけでなのちゃんは胸を打たれたわけですが(これについてはもう少し言語化したい所存)、果たして私が出来ることはあるのだろうか、いやほとんどないだろうな。アンパンマンに憧れる子がすることは、アンパンマンのパジャマをおもちゃを変身グッズ(あるのか?)を買うことではなく、お友達に優しくすることですと私の好きな文章を書く方がおっしゃっていて、たしかにと思うわけですが、私のこの状況に当てはめると、「お友達に優しくすること」には何が導き出されるだろうか。少なくとも彼に啓蒙する必要があると思われる人間にならないことでしょ、あと彼は誠実に話そうとしてくれるだろうからその誠実さをきちんと受け取って私も誠実さで返すこと。具体的には質問をするとか、その返事に質問を返すとか、コメントをするとか。あとはやっぱり、きちんとやることですね。しんどいけどきちんと本を読んで、それを正しく(一般的な解釈を自分でも出来るようにすること)、その上で疑問や突っ込みを入れること。そうやって過ごして、彼と同じところに立てたらいいなあ、、と烏滸がましくも思います。頑張ろ、、。

 

※ここにおける「分断」とは、「自己と他者の区切りを大きくし、他者に干渉しない」という意味です。