生活に溺れる

生活に溺れている。

やらなきゃいけない具体的な物事に押されて、私が好きに物を考えたりする時間が減っている。やらなきゃいけない具体的な物事、通学、大学の授業、ご飯を食べること、用意すること、大学の授業の予習・復習をすること、それらに気を揉むこと。あまりにも体力がないので帰ってきたら何もできず、重い体をなめくじのように引きずって、なんとかご飯をたべ(ご飯を食べれば元気になるという迷信を持っているが、別に元気にはならない。デザートが食べたくなって、食べて、罪悪感に苛まれ、消化に体力が使われて、よく眠れず、またやりたいことをする時間がなくなるだけ)、洗濯物は畳まず、お風呂に入り、寝る。私は他の同級生と比べて、履修している科目が少ないのだけど、みんなどうやってこなしているのだろう。話を聞く限り、サークルやバイトにもそれなりの時間を割いており、端的にすごい。若いから、、?私より若いから、、、?(暴力的解決)。

 

そういえば今日、同級生とお話して、あなたは落ち着いているねとおっしゃっていただき、わたくしはたぶんあなたより年を重ねていますよと申し上げたところ、彼女は経験がないことを恥ずかしく思うとおっしゃっていて、社交辞令ではあるでしょうが、でも社交辞令にしてもそんなことはないでしょうねと思う。ただ年食ってるだけですよははなんて返したけど、それは本当にそうで、歳を重ねることなんてほっとけば誰でもなるんだから、別に年を重ねて落ち着きが出てきたり経験がその分つまれるというのは当たり前のことで、なので別にそれらがすごいということは決してないんだよなあ、、、と思いました。中身が伴っていればいいですが、私は別に、、ふらふらしていただけだし、フランス語できないし、何もかも中途半端だし、、別に、、(卑屈になっているわけではない。自己評価)。彼女を糾弾しているわけでは決してなく、なんというか、そうした年齢に対する見方ってある種の偏見でもあり、ありがちだよなと思った。年を重ねていればそりゃその分何かを知っているでしょうよ。そうであってほしいよ。でも私はそうではない。でも誰かからすれば、そろそろ私はそっちの側になっているのだから、驕り高ぶらないでいたい。でもそのときに自分がそうかもしれないと思えるようでありたいとも思う、今までそうしてこなかったから、少し恥ずかしい。かわいくていい子。無邪気できらきら明るくてかわいい。アイシャドウがかわいかった。

 

昨日かおとといの投稿の文章があまりにも下手で恥ずかしいため、書き直します。

 

●自己開示できない話から。

これね~別に何か結論として出したくて書いたわけではなくって、ただ単に「あっ私は本当に自己開示が駄目なんだ」と思ったというだけの話です。今書いていて思ったけど、自己開示っていうか、他者に踏み入ること、他者に自己開示させようとすることのほうが表現としては適切かもしれないね。フランス語の先生と(ほら、「フランス語」という言葉がもうすでに何回か出て来ているでしょう。私は今フランス語にはまっているのですよ)授業という名のお喋りをしていて、「質問ある?」と聞かれたので、とある語源に関する質問をしたところ、そのあと「僕に関する質問はありますか?」と聞かれて、あっなるほど、と思い直したんですよね。「その人」、「目の前にいる”その人”」のことを聞かないといけなかったのか!とぎょっと(?なるほど?)しました(いや別にぎょっとはしてないな、ぎょっとはしてない、そこまでではなかった、なるほどもあまりしてない)、私は他者に踏み込むことがあまりにも苦手で、というのは、私が踏み込まれることを極端に嫌っている時期があったために(今も若干はそう)他者にそれができなくなるという強い傾向を保持しているからで、なのでそういった個人的な質問は避けていたんです。大学に関する人であれば大学に関する話が主だし、私はそうして話しかけるし、仕事の人であれば仕事の話ばかりする。私の話はなるべくしないし、相手のこともあまり聞かない、聞けない(実際、この前まで仕事をしていたとき、あまりにも聞けなくてびっくりした。「本業を別にしていて」とおっしゃっていたお姉さんに、それが何かを聞けなかったし(聞きたかったけど、胸がつかえて何も言えなかった)、「大学院へ行く」とこっそり教えてくださったお姉さんに対してもどこまで聞いていいのかわからず固まってしまったし(でもこちらのお姉さんに関しては、お姉さんから話してくださったので、そこそこ話すことができた)、これは少し違うが、奥様と離婚して寂しいとつぶやいていたお兄さんにも、何も言葉をかけなかった、なぜ離婚したのかなんて聞くべきではないし、かといって変に励ますのも違うだろう。私はあなたがいてくれてよかったと思ってますよと思うけど、あなたはここにいないほうがよかったのだろうなと思うと、そうとも言えず、ただ黙ってしまった。学費理論と同じですね。私が下手なだけか?)。私がここ数年してきた会話というのは、「その環境ありきの」会話であったので、質問も「その場としての」質問であったため、ちょっと、びっくり、拍子抜け?して、だから先生の質問には固まってしまったんですよね。それがなかなか衝撃的で。

聞いてみようかな、来週、どこまではパーソナルな質問ですか?と。どこまでだったら聞いてもいいのか?と。私は、実は、あなたのプリントがなければ、どこに住んでるかも聞けないくらいなんだけど?と。興味がないわけではないのだ、ただ、踏み入りすぎていると思って、だって様々なことが付加され判断されてしまうので、そうであることは聞かないほうがいいだろう、踏み入ってはならぬと思うのだ。

 

あっでもお姉さん(リトウさん)に本業を聞けなかったことと、先生に質問されて困ったことは若干違う?

 

これはそのリトウさんからいただいたチョコレート

リトウさん、誰に対しても優しくて、怖気づくこともなくって、ただただ明るくて、まじで周りがつられて明るくなるようなお姉さんで、すごい、太陽のようであった。

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魔笛の感想

結構面白かったです。夜の女王のアリアがものすごくかっこよくて、もともと知っていたのもあって、より楽しめました。姉と一緒に行くのは魔笛のほうがよかったろうな。残念。光の構成?背景の、光の使い方がとてもかっこよくて、みていて楽しかったです。台詞があったのも面白かった。歌手の方々は、外国語を話したらきっと上手なのだろうといつも思う。だって、子音だけの音とかとてもよく聞こえるし、綺麗だし、発音もそれっぽい(失礼な言い方!)し、いいなあ。私もやれば上手になるかな(やらなくてよい)。

ジェンダーの問題はやはり感じて、女性がわりとトロフィーワイフ的というか、何かに勝った男性に与えられるものとしての「女」であり、さらに男を惑わす卑怯なものとしての「女」として描かれており、これらの描写がダブルスタンダードであることと、そもそもこうした描写をすること自体に対する嫌悪感みたいなものはしっかりありました。どうなんでしょうね。だから昔の作品に対して、ジェンダーがどうとか差別がどうとか、それはもちろんそうで、私たちはそこから学んで世界をよりよくさせていかなきゃならない反面、その当時のものを糾弾の対象として扱っていいのか?という疑問があります。全く触れずにいたほうがいいという立場に関してはおそらくデリダが言ってくれていて、脱構築していくしかないということになるんでしょうね、であれば、別に封印することはないのだろう。私は、デリダにも入門しなければならない!

勢いで購入したパンフレットはだいぶ中身がつまらなかったので、すごく残念です。

 

 

ギリシャ語の先生

これはぜひ書いておかないといけないことですが、ギリシア語を履修しているのだけど、私のギリシア語の先生はとても、誠実な人で、私が去年履修していた授業のコメントペーパーに対して、「僕あなたのコメントに救われたんですよ」っておっしゃってくださいまして、ああ本当に、ちゃんとした人なんだなあとしみじみ思いました。すごいよね、春休みを超えて、わざわざ伝えてくれるんだもの。そう言っていただけるようなものを提出していたことへの「よかった」という気持ちと、どうせ私のことだから、”うけそうなこと”を察してそれっぽく書いたんだろうという自己の浅ましさへの軽蔑の気持ちと、両方ありますが、さしあたりは嬉しかったです。その教授は私のことを認識してくださっていたようで、授業中に親しげに話しかけてくださったり、今日はなんと校内ですれ違ったのだけど、手を振ってくださって、とても嬉しかった。あいにく、みさきに履修のことで泣きついていたので、会釈だけで終わってしまったのだけど。今度お茶しにおいでねと去年言ってくださったので、卒業までには伺いたく思っている。

卒論どうしようかな、、、。

大学院に行っている人を見ると、うらやましく思う。私も、できれば勉強を続けたいが、もう十分だとも思う。

 

 

●履修の話

履修さ~結局なんかぐだぐだしてしまって(しかも締め切り後にさらにミスに気付くという愚かさ、4年で卒業できるのか、、、?)、みさきに5回くらい泣きついたな、、、。うざかったろうな、、。まじでごめんよ(ここで書くことではない)、、、。履修登録期間が終わって胸がざわついたことによって気付いたのだけど、私はよりよい可能性を手に入れられるかもしれない状態になるべくいたいのだという気持ちが強めにある。履修登録の期間は、よりよい時間割の構成を求めて何度でも変更できるし、履修を組み直すことができるが、それが終わった今、もうそれはできない。決めたものをもうこなしていくことしか選択肢はない。私はできれば、いつでも逃げられるようなところにいたくて、なるべく人生とは向き合いたくなくて、うだうだしてしまっているのである。本を読め。勉強をしろ。大学の勉強を主にするんじゃない。