選択肢は少ない方がいい

昔やった決断に対して、今はもうできないな〜と思う。落ち着くとそう思う、生活が落ち着いたり、心が平穏な時は、できない。何も決められない。勢いがあったり、不安に駆られていたり、何かしら崖っぷちに立たされた状態でないと、できない。落ち着いている今は、できない。できなくなってしまった。腑抜けているなと思う。過去の自分の選択に対して、よくもまあそんなことをしたもんだ、と思う。よくできたもんだ。崖っぷちにいる時は、この崖から落ちた時の私のことを考えると、とても苦しむだろうことがわかって、それが何より避けたくて、必死でどうにかしようとできる。けれども、一度崖っぷちから避難、逃避、移動できて、安全地帯に着くと、なんでそんなに自分が必死だったか、なんでそんな決断をしたのかがわからなくなる。崖から逃げるためだったんだという意見は、筋の通った意見として理解できるけれども、実感がない。自分のことだったのに、すぐ忘れてしまう。あんなに必死だったのに。のんべんだらりと生活をしているうちに、必死さを置いてきてしまった。悲しい。ずっとあったらいいのに。4年後に死ににいく私は、その選択が正しいものかどうかを、この4年間で精査しなければならない。そのための4年間である。いい方向に行くと思う(希望的観測)。その必死さはないのか、私よ。