そりゃ楽でしょうよと思った、自分を律せず、ゆるくやっていることは

ラインを、ずっと閉じていたんだけど、別れと新しいの交流のために開くようになった。閉じたのは、気軽に連絡をされることがとても嫌で、でもそれを無下にできなかったからだ。開いてみての感想、「そりゃ楽でしょうよ、自分を律せず、ゆるくやっていることは」

投げかけられた言葉に対してきちんと返すことなく、乱雑に返す。意向を汲んだりしない。ぽんぽんぽんと、軽快に。そりゃ楽だ。やめたりしないんだろう。私は、そういうんじゃなかったんだな。もっと適当にやっていればいいのに、なんて一瞬思うけれど、私は重いコミュニケーションが好きなんだ。軽いものは、別に取りたくないし、取る必要がないと思う。好きな人たちの魂のこもった言葉を受け取って、私もそれに相応しいように返して、そうやって手紙を書いたり、メールを打ったり、話したりする。そういうのが好き。あまり適当にはやりたくない。そうすると、ラインというツールは、私にはあっていないんだと思う。相手を適当に扱うツールになってしまう。私が相談したい時に、相手を体のいい聞き役にする、そういうツール。ひどい話だ。私の優しい友人は、頼ってくれてありがとうと言ってくれたけれど、彼女は優しすぎる。私は彼女を私のサンドバッグにしたなと、暗澹たる気持ちになる。最近この言葉が好き、「暗澹たる気持ちになる」。目が痒い。

 

意向を汲んでもらった。びっくりした。意向を汲めるのか。私は、彼をなんだと思っているのか。

元恋人氏の二の舞になるのではないか。不安は口に出したほうが良いし、幸せなら口に出したほうが良い。他者が私と同じ気持ちであると考えてはならない、思い込んではならない、肝に命ぜよ。早く会えるのは嬉しい。ええと、することと言うことは、お世話になったお礼をいいお礼を渡すこと、それとは別に今日のお礼を言いお礼を渡すこと、金銭感覚の話を早めにしておくこと、ピクニックの話を謝って、ゲームの話を聞くこと、名前の漢字が聞きたくて、あまりすいませんって言わないこと、ボロを出さないこと。学校のことは、伏せておきましょう。何かきかれるだろうか。今何してるんすか、とか?もう少し距離をつかんでからにしてください。それから、もう想い人がいるかもしれないこと。惨めだな。惨めに関する本を読んでおいた方がいい。眠い。気をつけてね。

もらったチケットの封を開けたら、また別のギフトカードが入っていて、大声をあげてしまった。私が私宛のプレゼントがとても嬉しいのは、その人が私を思ってくれていたこと、私のために選んだり買ったりの時間を割いてくれたことがわかるからだ。そういう関係を築けていたことも、とても良かったなと思う。ありがとう。

 

所属が怖いのは、所属が怖いんじゃなくて、それ一個に依存しちゃうことが怖いんだ。失ったとき、うまくいかなくなった時の逃げ場がないから。気を逸らすことができないから。だから今、昔のところの彼が欲しくて必死だし(サイテー)、今のところにあまり参入しようとしないんだ。眠い。