TIMEの話

私は私の能力値を上げる努力をしてこなかった。だから今、時給いくらで働いているんだなあと思う。違反で無くなる日給。悲しい。世界から、お前の価値はこの程度であると言われたかのようだった。すごいことだ、なんと傲慢な。友達には、やりたくなかった当時の自分の気持ちを大事にせよと言い、私はできなかった。それ以外だったらできていたけど、今日になってこれができなかった。驚いた。悲しい気持ちと、でもその価値観は、私にとってはさほど大事であることではないと思う気持ちと、でも私の能力値が高くて、今の半分の労働で、もう少し私の容量に合う金額を得られるなら、それはとても良いだろうなと思う。でも私はそれをしてこなかったのだ。そこで、過去の私がやりたくなかったと思っていた気持ちを大事にせよ、なんて言えるか?言えないのだ。過去の自分が未来の自分を大事にしてこなかったことの現れであり、怠惰、私の嫌いな考えなしの行為だからだ。

 

何かを生み出さねばならないと思っていたこと。労働で忙しくて、朝起きて労働のための準備をして労働をして帰宅し栄養摂取をして寝るという生活をしている中で、せめて何か書き残さねばならないと思っていた。ああ、私は、何か意味のあることをしたいんだなあと気付いた。今は、労働に時間が食われて、余暇がないのである。でも、何かをしようとして何かをするのってよくなくない?

 

対象。対象化、鳥瞰が嫌だなと思ったのは、大学の研究者が対象にしていることと実際にその場で生きている人とのギャップを感じたからな気がする。そんなことを思い出した。寝る。