選民思想

のえちゃんにとっての、鈴木君だったか山田君だったか佐藤君だったか、とにかくそういうことがあった。とても不快だなあと思ったのだけど、のえちゃんはどうだったのかな。彼女にとっての鈴木君(佐藤君?)?彼はなにが問題だったかって、彼女は別にどうとも思っていなくて、彼の(人間としての)好意をただ受け取っていただけなのに、恋に発展させられてしまって、残念だなと思ったと言っていた。あーあと、彼もそうだったと、そのように言っていた。彼女は異性から好意を持たれることがとても多い。一日中マスクをしていたので肌ががさがさ。私も少しそうかな、私は人がいいので、私のその性質に則って振る舞っていたに過ぎないのに、なんだかこう、それが悪いように作用してしまって、あーあ、という気持ち。こういうのは、とてもむかつく。不快だ。しかし彼も悪い人ではなく、実際にたすけてもらったことがあるので、なんとも言い難い。これからも助けては欲しいが、これ以上は近づいてほしくない。その方法を学ぼう。取捨選択の方法を学び、避ける方法も学ぶ。

興味のない人に踏み込まれるのはとても不快だな。今までは適当にやり過ごしていたが、そうともいかないのはとても面倒くさいんだなということがわかった。しかし、なぜこのような面倒くささが生じるのだろうか。どこぞのいち社会であることは変わりないのに。そこありきの一員であることには変わりないのに。なぜこの場では、私として振る舞うことが要求されるのだろうか。役割がないからだろうか。私として現前しないといけなくなるのか。ここでの役割。なぜ今までは、うまくやり過ごせていたのだろうか。年齢と自意識の問題だろうか。年を重ねるにつれて、他者に関心がなくなっていくのだろうか。だからやれていたのか。物珍しさによられているのだろうか。私は、勉強だけできればまあそれでよくて、なのでそれが潤滑に進む程度に関係を築ければよくて(幸運にも、それ以上に仲良くしてくださる方々がちらほらとおり、とてもありがたく嬉しい気持ちでいっぱいである)、そのために振る舞っているところもあり、いやしかしなんだかなあ…、上手いこといかないかなあ(投げやり)。なんで上手いこといかないのだろうか。単純に、いやだって普通聞かなくない?ということなの?
もう少し考えて、今度聞いてみよう。

 

今日もお菓子を食べすぎてしまった。悲しい気持ちでいっぱい。おなかにお肉がついているのがわかる。時間と日を制限して、たまに食べていいようにしようかな。

 

選民思想。あれはびっくりした。自分はまるで違うかのようなところにいて、その前提で話されて、私の周囲を貶めるというのは、まったくもっていただけない。いろいろとスマートじゃなかったりスマートじゃなかったりスマートじゃなかったり下世話だったり、思想が合わなそうねというところはあり、しかしそれらはわたくしがどうこう言う問題ではないので、心の奥底(とここ)に仕舞っておくことにするけれども、そうではなく、その選民思想の話はとても、とても残念だった。私がとても気に入っている、世界にいたほうがいい彼は、確かに彼も彼だけ特別な場所にいて、そこから世界を眺めているという感じだけど、純粋な観察者としての特別な一人という感じだけど、そうではなく、周囲を貶めたことによる特別だった。暗澹たる気持ちになる。私にとっても私は特別で、ただの一人間に過ぎないということはあまり実感しないけど(年齢を重ねると、自意識が減りそういった自分の取るに足らなさを知るようになるというのはよく聞くお話、閑話休題)、それでも他者を貶めたり、自分や自分の周囲、気に入ったものだけを肯定し、そうでないものは劣っている/価値がないとするのはしないよ。とてもとても違う。悲しい。

私と自分を同化していること(何故…?)、それを優れているとしていること、それは周囲を貶めることで成り立っていること。嫌な気持ちになった。私はべつに、同級生を貶めたりしないし、私はとてもかれらのことが、ひとりひとりではないにせよ、全体としてとても好きなのに、そうではないかのように扱われて、残念な気持ちでいっぱいである。あっ、私も異物ではなく入り込みたいと思ったのかな。いやわからんな。話したいけど、誰かに話がいくのがいやで、ああ、こういうのはとても嫌だね。今までだったらどうしていたかなとおもったけど、そもそも問題が起こることが(物理的に)なかったんだわ。人間が嫌いになりそう。幼かったわたくしが、短絡的にすべてを断ち切ることでこれらを対処したのは、わからんでもないよ…。わたくしもそうしたい。