ネックレスを買うことについて

・意識をそらす

・他人にとって大切なものは他人にとってはどうでもいいことのあらわれ

 

追記2022年2月12日

よいしょ

・追記というか、後で書こうと思ってたのを今から書くよ。

・1年前の今頃も「小休止」とかいう題で日記を書いていたけど、今回は小休止ではなく、これが終われば忙しい毎日というまさにその際ですね。

マルチプレイができないことについて。マルチプレイって言わないか、同時に複数のことを行うこと。なんていうんだっけ。とにかく、なので、レポートを進めながらバイト探したり働いたりというのが全然できなくて、私はこれがすごく苦手なんだなと思った。

・ようやく本題

・意識をそらすのは、お守りみたいなものをもっていたくて、それは何か気を張るような何かに遭遇したときに、気を逸らすというか、ちょっと自信をつけるため、みたいなことです。これをつけていれば大丈夫と思えるものを(実際は大丈夫でなくても、形骸化したむなしいものであっても)持っていたいと思ったし、もっていなければ駄目になると思った。だから買いなおしたときは、失くしてからは「ああもうそれがないんだ」と不安になったけれど、「もう買ったから大丈夫、あとは届くのを待つだけ」と思えて、やはり買い直してよかったなと思った。

・私はこれを結構な価格で購入して、しかも2回も、だから2倍の値段がかかっているわけだけど、他者からしたら馬鹿なお金の使い方かもしれず、なのでその価値の見極めは人によって異なることがわかりますよね。それを示すためのもので、私にとって大事なものはあなたにとって大事ではないものかもしれないだろう、そのことは、このアクセサリーを見れば明らかである、であれば当然の帰結が導き出されるけど、それはつまり?という問いかけを他者にしています。ネックレス(やピアス)は、私からはあまり見えなくて、他者に対する装飾品であると言われることがあるけど、見せつけているのはそういう私の他者への非難です。

・あとこれを買うのを最後に、求めるものを求めることはやめようと思ったから、それがなくなってしまったことはそうした消費行動が再開してしまうようで、それはとても嫌だったんですよね。結局買い直したけど、それでもそのときの「これで最後だ」という儀式は破綻になってしまったから、なんというか、それはすこしむなしい